第4話 デジタル・コミュニケーション
「ちょっとマミ、聞いてるの!?」
ノンちゃんの相変わらず楽しげな声で魔美はわれにかえる。
「そうそう。もうすぐ春休み、そろそろイベントを考えようって、昨日から言ってたじゃない!」
「うん、そうだったね」
「もう夏休みになったら、こんなこと言ってるこいつは竹長くんと二人きりで海辺のアバンチュール……なんてことも考えられるんですぜ、ダンナ!」
「なにお〜!」
ポカポカと、じょうだんで叩き合うサチとノンちゃんを横目で見ながら、魔美はまだ少しなにかを考えていた。
「……どうしたの、マミ」
「う、ううん、なんでもない!」
「ムリしないで……ちゃーんとわかってるんだから。高畑さんのことでしょ?」
「あ、サチ……!」
慌ててノンちゃんがサチを見るが、サチは気がつかなかった。
「うん?……正直なとこ、それもあるかなぁ」
「ほら、やっぱりそうでしょ!」
得意げなサチと、無言で頭をかくノンちゃん。
「でもね、それだけじゃないの。たとえばさぁ……ノンとサチ、パソコンのことくわしい?」
「え?」
「へ?」
二人のすっとんきょうな声が重なる。
「ぱ、パソコン……ねえ?」
「そ、そりゃちょっとは……知ってるような、知ってないような」
「これくらいのテレビみたいなやつと、キーボード、で出来てる……」
「んーと……あ!わたし親戚の家でちょこっとだけ触った!」
慌てふためく二人のようすを見ながら、魔美は微笑む。
「ゴメンゴメン!変なこと言っちゃって。ほんとに、なんでもないよ」
(やっぱり、あの人に頼むしかないみたい……)魔美は、魔美なりに昨日一所懸命考えたのだ。もちろん全部の問題が解決するなんて思っていない。でもどうしたら一番いいか、それだけは悩んだのだ。そして、自分なりに思いついたこと。
魔美は呼び鈴を押す。学校が終わって、わき目もふらずにここに駆けて来たのだ。
「はーい」
中から、高畑さんのお母さんが出てくる。高畑さんがいなくなってから、初めて高畑さんの家にやって来た。
「あら、魔美ちゃん。ひさしぶりねぇ、あ、和夫ならいないけど……」
「あ、今日はその用事じゃないんです。ちょっと教えてもらいたいことがあって」
「教えてもらいたいこと?」
「はい、連絡先なんですけど……」
「ああ、和夫が行ってるところの連絡先ね!えーと、たしかこのあたりにメモしたような……」
「いえ、違うんです!あの……黒雪さんの、黒雪妙子さんの連絡先なんです!」
「え、妙子ちゃんの……?」
やはり、驚いてるようだ。そりゃそうだ。でも、しょうがない。魔美には、少しの時間も惜しかったのだ。
自宅玄関ドアにカギをかけて、妙子さんはヘルメットをかぶる。指でバイクキーをもてあそびながら、ガレージに向かおうとした。
「あの……!」
後ろからの呼びかけに、妙子さんは振りかえる。そこには、息を切らせている魔美がいた。高畑さんのお母さんに地図を書いてもらってから、大急ぎでテレポートを繰り返して来たのだ。
「……なんの用?わたし、いまから出かけるところなんだけど」
少しいぶかしげな視線で、妙子さんは魔美を見つめた。
「実は、頼みたいことがあって……あの」
魔美は学生カバンを慌てながら探って、中からなにか取り出した。
「これ、使い方を教えて下さい!」
手には、パパが送ってきたあのノートパソコン。
「……なにそれ。いきなりやってきて、なにも言わずにパソコン教えてくれって?どーせカズオちゃんに気に入られたいからでしょ。そんなのに付き合ってられるわけないじゃない。それじゃ……」
魔美にかまわずガレージに向かう妙子さんに、魔美は強い口調で声をかける。
「そんな……お願いします!高畑さんがどうとか、そんなんじゃないんです!どうしても、どうしても急いでパソコンを覚えなきゃいけないんです!頼める人は、黒雪さんしかいないんです!」
「ふーん……」
立ち止まって、妙子さんは魔美に近づく。
「ホントに、これっぽっちもカズオちゃんのこと考えてないんでしょうね?」
「は……はい」
「そう。そうなの」
妙子さんはなにか考えるそぶりを見せながら、やがて言う。
「いいわよ。どうせ気晴らしでバイク走らせるだけのつもりだったから。さ、はいってらっしゃい」
魔美を先導するように、妙子さんは玄関に入り、ドアのカギを開けた。
「あ、ありがとうございます!」
門柱のところでなんども礼をする魔美を見ながら、妙子さんはつぶやいた。
「フフっ。このお返し、高くつくわよ……」
もちろん魔美には聞こえなかったが。
「……ああ、もう違う!どうして電源も入れられないようなパソコン持ってきちゃったの!?」
魔美はすごく急いでいた。だからといって、マニュアルを持ってこないようでは、そこそこの知識を持っている妙子さんだって手を焼いてしまう。機械に関してはまったく素人の魔美が相手ならなおさらだ。知識を使って魔美を少し困らせてやろうとしたが、まったく分からないんじゃ手の出しようもない。
「……ごめんなさい」
「あやまったって……だいたい、このノートパソコンでなにをやりたいの?ゲーム?それともインターネット?」
少しあきれ気味に妙子さんがたずねる。かろうじてマウスの操作を覚えたような魔美が、いったい何をパソコンでやりたいのか?
「あの……パソコンって、映像とかをそのまま世界中のどこにでも送れるんでしょう?今度の日曜日、遠くの外国に、どうしても送りたいものがあるんです!」
「あ、あのねえ……」
あきれを通り越してしまった妙子さんは、おもわず洩れた笑い顔のままでいう。
「それはあれでしょ?たとえばコンサートとかを、その時間に遠くの海外まで、動いてる映像で送る……みたいなことをしたいんでしょ?」
「そう、そうなんです!」
妙子さんは手のひらを数回左右にふった。
「あはは、ムリムリ!そこそこの経験者ならともかく、あなたみたいな初心者ができることじゃないわ。悪いこといわないから、インターネットとEメールぐらいにしときなさいよ。それなら今すぐに教えてあげることができるから……」
「でも……でも、そうしなきゃいけないんです!どうしても、カナミさんの演奏会をパパに見せてあげなきゃ……!」
「ちょ、ちょっと!」
魔美の迫力に妙子さんは押されてしまう。
「あ、ごめんなさい……」
「……ちょっと待ってよ!カナミさんだかパパだか知らないけど、そんなに無理難題押しつけられたんじゃ、わたしには教えてあげられる自信はないわよ。どうしても、っていうから、しょうがなく付き合ってあげたんじゃない!」
妙子さんは反撃するように少し強い口調で魔美にいった。
「すみません」
「そういうこと、もうおしまい!誰かほかの人に頼むといいわ。『今日中にリアルタイム中継の仕方を教えて下さい!』ってね。おそらくみんなわたしと同じようなことをいうと思うわ。『無理です』って」
突き放すようにいって、妙子さんは魔美が持ってきたノートパソコンを閉じた。
「……ほんとに、すみませんでした。無理いっちゃったみたいですね。ごめんなさい」
魔美は、湧き上がってくる涙を抑えられなかった。なるべく妙子さんに見られないように、急いで学生カバンを掴んで立ちあがり、軽く礼をして部屋を駆け足で出て行く。
「なによ、まったく」
残された妙子さんは、なんだか少しいごこちが悪かった。私は間違ったことをいってない。そう思えば思うほど、そのいごこちの悪さは大きくなっていく。
見れば、前に机の上に魔美が忘れていったあのパソコンがある。しばらくそれを無言で眺めていた。
「
ああ、もうっ!」
妙子さんはそのまま勢いよく立ち上がると、バイクのキーを持って先ほどの魔美と同じように駆け足で階下に下りていった。
間違いなくくやし涙だと思う。でもそれは決して妙子さんに対してじゃない。無理難題を人に押しつけて、出来もしないことを簡単にやろうとした自分に対してのくやしさだ。やっぱり、わたしは高畑さんがいないとなにも出来ない人間なんだ、そういう思いがそのくやしさをさらに大きくしていた。
カナミさんのことなんて関係ないと割り切れるなら、どんなに楽なんだろう。普通の人が悩まないことまで、エスパーだからということで悩まないといけない。
でも、心から困っているを放っておいたら、自分が自分じゃなくなるような気がする。今までは、きっとそういう不安を高畑さんが和らげてくれていたんだろう。いま、心からそう実感できる。
涙をぬぐいながら、夕闇が押し迫ってきた空を見上げる。
必要?そうだ、そうなんだ。意識してたわけじゃないけど、ずっと高畑さんを必要としてたんだ。高畑さんはわたしが困ったときも、なにもいわずただ笑ってはなしを聞いてくれていたから、『自分が高畑さんを必要としてる』なんて思うことはなかった。
少し素直になればいいのかもしれない。今回のことで、無意識のうちに意地を張って、『高畑さんに頼っちゃいけない』って思った。だからこそ、妙子さんに無理をいってしまったのだ。
高畑さんの家にもう一度行って、高畑さんの連絡先を聞こう。くやしいけど、まだわたしは高畑さんに頼ってるんだ。
ブローチをはずして、スイッチを押そうとした時、後ろからクラクションが聞こえた。振りかえると、一台のバイクがエンジンを轟かせている。
「乗りなさいよ、早く!」
「黒雪さん……」
「まだ県立図書館は閉まってないし、少し街に出れば、パソコンの本を置いてる本屋さんだっていっぱいあるわ」
「……」
「なにやってんの、急ぐんでしょ!」
「でも……」
「ああ、もう、じれったいわね!こうなったら、とことんつきあってあげるわ。わたし、わがままだけど物事を途中で投げ出すのは大っ嫌いなの。さあ、早く後ろに乗りなさいよ!」
「は、はい!」
慌ててバイクに近づくと、手渡されたヘルメットをかぶって後ろにまたがった。
「そのかわり、今夜は徹夜になるわよ。覚悟はいいわね?」
「大丈夫です……!」
「じゃあ、飛ばすわよ。しっかり掴まってなさいよ」
「はい!」
ぐっと力を込めて、魔美は妙子さんのツナギにしっかりとしがみついた。
(もうすこし、意地を張ってみるからね、高畑さん……)スロットルの勢いを感じながら、魔美は少しだけ前に進めたような気がした。
「はい、そこでリターン!」
「よいしょ、っと!」
瞬間、妙子さんのパソコンモニターに、キーボードに向かう魔美の姿が映し出された。
「ほら、映ったわよ!ほら、ほら!」
「ほんとですか!?」
急いで向かいの妙子さんのそばに駆け寄る。そこには、間違いなく今まで魔美が座っていた部屋の風景が映し出されていた。
「やっ……たぁーっ!」
二人とも思わず笑顔になる。手のひらを出し合い、勢いよくパチンっと打ち合わせた。実は、もう朝の6時を過ぎている。
「たった1日でここまでできるとは。まあ、わたしの教えかたがよかったのよね」
妙子さんが魔美の肩をひじで突っついていう。
「あ、でも午前2時ごろ、『ああ、もうやめ!』ってあきらめかけてたのはだれでしたっけ?」
「なにお〜!」
「ウソですウソです!ほんとうに、感謝してます!」
「ふーん……ま、いいわ」
悪戯っぽい、まさに妙子さんらしい笑顔だ。
「このわたしにこんな借りを作るなんて、あとでどうなっても知らないから」
「……こわいなぁ」
また、どちらからともなく笑い合う。徹夜明けのハイテンションのせいかもしれないけれど、なんだかとても楽しい気分だ。
「とにかく、まずモジュラー・ジャックを探すこと。それがないとどうにもなんないんだから。それから、本来はコンサートなんかを中継するのは違法なんだから、あんまりおおっぴらにしないこと……失敗するんじゃないわよ。これだけのためにわたしはわざわざHP作っちゃったんだから、いいわね?」
「はい……ほんとうに、ありがとうございました!」
小鳥のさえずる妙子さんの家の前、深く深く、魔美は頭を下げた。ほんとうに心から頭を下げたかったのだ。
「よし!さ、ヘマしないために今日は早く寝なさい!その、カナミさんのコンサート、明日なんでしょ?」
「ええ」
「わかってるんなら、早く帰る!もうこれ以上の感謝なんて時間のムダよ!」
「はい!」
魔美はまた妙子さんに小さく会釈して、振り向いて駆け出した。
妙子さんは、走る魔美の後ろ姿を眺めながら、ちょっとだけため息をつく。
「……あーあ、なんなんだろ?」
少し自分自身に戸惑っているようだ。
「なんでわたしがあいつのために、こんなに一所懸命にならなきゃいけないわけ?」
うで組みをして、しばらくのあいだ考え込んでいたが、やがて、
「……まあ、いいわ。このつぐないは和夫ちゃんにしてもらいましょう」
妙子さんはまた、あのたくらみ笑顔を浮かべた。
「ふ、ああ〜っ!」
さすがに、眠い。こんなに長い時間起きていたことなんて、生まれて初めてだ。
「やっぱり、もういちどうちに帰って試験をやったほうがいいかも。妙子さんのいうとおり、もし失敗したら大変だもんね……」
眠たい目をこすりながら、魔美は自宅へとたどり着いた。誰もいない家。誰もいないからこそ、無断で徹夜なんかできたのだが。
「た・だ・い・ま〜」
ドアを開ける。すぐに電話口までいってモジュラー・ジャックを探ろうとしたがが、その横に丸い物体が横たわっていて、それを邪魔していた。
「コンポコ……」
返事をしない。たまにエサを忘れたときの、ふてくされた態度だ。
「……ゴハンを忘れたことはあやまるから。昨日はしかたがなかったのよ、許して、ね?」
魔美の声にも、コンポコはぴくりとも動かない。
「もう……!」
なかなか根が深いらしい。でも、こういうときにはいつもの手段。
「とりあえずいまからすぐゴハンを用意して、わたしがひとねむりしたら高級アブラゲ3枚……いや、4枚買ってきてあげるから!」
間髪入れず、とはまさにこのこと。耳をピクンと動かしたかと思うと、すぐに魔美の目の前に走り出してひとこと、
「フャン!!」
「現金なんだから、もう!」
魔美は笑いながら、キッチンに向かう。ドッグフードを箱から皿に盛って、大急ぎで食べるコンポコを眺めていると、またひとつ大きなアクビが出た。
「さてさて……お昼まで眠って、スーパーでアブラゲを買ったあと、パソコンの試験をやって、パパに電話して、それから……ああ、もうなんでもいいや!とにかく寝よう!」
バタバタと階段を駆け上がり、部屋のドアを開けそのままベッドに倒れこむ。
「ふあ、あーあっ!ふにゃふにゃ……」
そのままなら、あと2・3秒で眠りについただろう。でも、その2・3秒たたないうちに、魔美の耳にけたたましいベルが聞こえた。
ちょっとむくれながら身を起こしたが、その尋常でない非常ベルの音に魔美は体を固くした。
「すごく、すごく危機が迫ってる感じ……!」
昨日からずっと着ていた制服を大急ぎで脱ぎ捨て、シャツとミニスカートを身に着ける。
「テレポート!」
かけ声とともに空中に身を躍らせた。徹夜明けの瞳に朝の太陽が眩しい。でも、戸惑っていられない。ベルは、さっきよりさらに激しくなっていた。