第2話 マフィアとパパイヤ
次の日。また魔美は机の前でペンを指先で回し続けている。昨日の騒動の後、帰って来て気がついたが、あの時助けた女の人に思いっきり超能力を見せてしまった。
「あれほど高畑さんと約束したんだけど……」
少し困った顔をしたが、すぐに元に戻る。
「さて、気を取り直してべんきょうべんきょう!」
「フャン!」
きいっ、とイスを滑らせて、魔美はまた机に向かった。だがすぐに、階下の電話が魔美を呼ぶ。
「あ、ママかな。パパかな!?それとも……」
「フャンフャン!」
勉強はしないのか、という様子でコンポコが魔美にすがりつく。
「しょうがないでしょ、電話が鳴ってるんだから!」
ドタバタと慌てながら階段を降りる。途中で、足を踏みはずす。
「フャン……」
コンポコがしっぽで目をふさぐ。
「あいたたたたた……っ」
強く打ったお尻をさすりながら、なんとか電話へとたどりつく。
「はい、もしもし佐倉ですが……」
「あ、もしもし魔美ちゃん?」
聞き覚えのある、若い女の人の声だ。
「明子さんじゃないですか。お久しぶりです」
パパがたまに雇っていたプロのモデルさん、明子さんだ。
「今近くに来てるの。あなたのおかあさまから電話をもらって、久しぶりに魔美ちゃんの顔を見たくなった、というわけ。どう?いっしょに外に食事に行かない?」
「いいですね!今がんばって勉強してたから、ちょっと気分転換したかったんです」
「フャン!?」
コンポコが魔美のほうを見たが、魔美は都合の悪いことには気がつかない性格に出来ている。
「そう、よかった。じゃあ、駅前の喫茶店で4時半に待ち合わせしましょう」
「分かりました。すぐに準備しますね」
電話を置くと、ゆっくりと二階に上がる。ただいま4時少し前。普通に行けば駅前に30分あれば間に合うはずだ。でも魔美は口笛を吹きながらベッドに寝転んで、コンポコとじゃれ合う。やがて時は過ぎ、時計は4時20分を指している。
「……さて、そろそろ行こうかな」
よそ行きに着替え、24分。テレポーテーションガンを自分に向ける。
「コンポコ、今度は留守番よ。いいわね?その代わりに、ちゃんと美味しいあぶらげを買ってきてあげるから」
「フャン!」
返事を聞いて、魔美は玄関に駆け降りる。お気に入りのベレーをかぶり、お気に入りの靴を履いて、胸のブローチを探る。
「テレポート!」
ビーズが空中に弾けて、玄関のフロアに落ちる。彼女の姿はもうそこにはなかった。
夕焼けが迫る街に、少女の姿が跳ねる。昨日の飛行より肌寒いけれど、春物のジャケットを着ているおかげで寒くはない。少し気持ちが楽しくなって、宙返りなどしてしまう。
「やっほー!」
風が舞って、思わずベレーが落ちそうになる。
「おっと」
慌ててかぶり直して、舌を出す。
「あんまり遊んじゃいられないか……よーし!」
少しテレポートのスピードをアップした。そうすれば、駅前の喫茶店はもうすぐだ。
「よいしょっと」
駅まですぐの路地裏に、魔美はテレポートアウトした。ベレーをちょっと整えて、時計を見る。4時29分52秒。
「あ、いけない!」
路地から駆け出して、急いで喫茶店を目指す。
カランコロンと、ドアについたベルが鳴った。店内を見まわすと、少し奥のテーブルに明子さんの顔がある。そして、そのテーブルにはもう一人の客がいるのに気がついた。
(あ、あれは……)見覚えのある顔。魔美はすぐに思い出した。明子さんの弟 明良くんだ。
「あ、魔美ちゃんこっちよ!」
明子さんが呼ぶので、仕方なく魔美はテーブルへと歩き出す。正直なところ明良くんと顔を合わせるのはマズイ。いつのことだったか、彼のいたずらを見とがめてお説教したことがあるのだ。
(その時、ちょっとテレキネシスやテレポートを使っちゃったのよね……)笑顔も思わず引きつってくる。テーブルの前に立っても、なるべく明良くんとは目を合わせないようにした。
「ひさしぶり、魔美ちゃん。あ、弟とは初めてよね。ほら明良、御挨拶なさい」
姉に促されて、明良くんが口を開く。
「どうも、はじめまして。弟の明良です!」
魔美は少し驚いた。前に会った時と、全然印象が違ったからだ。少し長めの髪も、細長の顔も、前に会った時と変わっていない。間違いなく、魔美が会った明良くんだ。でも、あの時と表情がまるで違う。その表情は、心から晴れ晴れとしているような笑顔に満たされていた。
「あ、はじめまして……佐倉魔美です」
思わずこっちが口ごもってしまう。
「あれ、どこかで……どこかで会ったことなかったですか?なんだか初対面じゃないような気が」
「いえ!そんなことないです!初めてです!はじめましてです!」
慌ててしまって何を言っているのか自分でも分からなくなってしまった。
「明良、それは気のせいよ。初対面のはずよね、魔美ちゃん」
「え、ええ!」
話しをごまかすため、魔美は二人の反対側の席に勢いよく座った。やはり、明良くんは魔美をしげしげと見つめている。
「ごめんなさいね。実は今日、弟の明良の就職が決まったの。だからお昼に、お祝いをしていて、夜も食事しようと思ってたの。それなら人数が多いほうがいいから。もちろん、わたしのおごりよ」
「そうでしたか」
話題がそれたことに、魔美は内心喜ぶ。
「そういうことなら、遠慮なくいただきます!」
普段ではあまり食べられないような夕食を、魔美はありがたく御馳走になっている。街中に立つホテルのレストラン。いい素材を使っているが、けして値段は高くない、評判のいい店だった。
「ごめんね、高級レストランってわけにはいかないけど」
「ううん、とんでもないです。とっても美味しいですよ!」
そう言いながらも、魔美のナイフとフォークは休むことなく動いている。
「すごいなぁ。こんなに美味しそうにゴハンを食べる女の子、初めて見たよ」
明良くんが驚いた表情で魔美を見つめる。
「こら、そんなこと言ったら失礼でしょ。あ、それともなに?いま付き合っている彼女と比べてるの?」
「ね、姉さん!」
急に話をふられた明良くんは、突然顔を真っ赤にして叫んだ。
「あのね魔美ちゃん。この子、ついこの間まで仕事も見つけようとしないで、家でだらだらしてるだけだったの。ところが、ある日突然『姉さんごめんなさい、ごめんなさい!』って泣きついて来て。それから急に明るくなっていったのよ。それからは一所懸命就職を探したり、いつのまにか彼女まで出来てて……あの日に、いったい何があったのかしら」
明子さんが、とても嬉しそうに話す。明良くんは赤面したまま困った表情をしている。
「ほんと、人間の人生なんて、なにがきっかけで変わるか分からないものね」
明子さんの言うとおり、明良くんは本当に変わった。
人の迷惑を考えない明良くんのイタズラに、明子さんが心から悩んでいることを知った魔美が、超能力を使って明良くんに夢を見せた。たった一人の理解者である明子さんが、自分のイタズラのせいで事件に巻き込まれてしまう夢。その日を境に、明良くんは改心して、真面目に生きることを始めたらしい。
でも、それはほんのきっかけだ。魔美は別に超能力で就職を探したわけじゃないし、ましてや彼女を見つけてやったわけでもない。明良くん自身が、自分から変わろうとした結果だ。
(ほんのちょっとのきっかけで、人生は変わる……そんなものかな)魔美は少しだけ手を動かすのを止めて、窓の外を眺める。
夜の街、きれいな星空。一所懸命取材で走り回っているママも、どこかの家にホームステイしている高畑さんも、パリでキャンバスに向かっているパパも、このつながった空の下にいる。
「……わたし、超能力を使えるようになって、なにか変われたかな?」
「え、なにか言った?魔美ちゃん」
「え?あ、いえ、なんでも!」
思わず口に出してしまったようだ。幸い二人には聞こえていなかったらしい。
「ほら、遠慮しないで食べていいのよ。きょうはお祝いなんだから」
「そうそう、どんどん食べてよ。まあ、お金を払うのは姉さんだから僕には関係ないけど」
「こら、明良!」
「冗談冗談」
仲のよさそうな姉弟の姿を見て、少し気持ちが楽になる。
「はい、それじゃ遠慮なく!」
再び、ナイフとフォークが忙しげに動き始める。いまはとりあえず、目の前の御馳走に集中することに決めたようだ。
また、なにごともない1日が過ぎている。朝ママから電話があった。遅刻はしなかったがまた授業中いねむりをした。うちに帰って勉強を……。
「フャンフャン!」
「わかった。するわよ、ちゃんとするんだから、もう!」
コンポコに吠えられて、仕方なくシャープペンシルを握り直す。コンポコにいわれるまでもなく、最近ボーッとすることが多いのは自覚している。
魔美は立ち上がった。コンポコの冷ややかな目が気になる。
「休憩よ休憩!ジュース一杯ぐらいいいでしょ!」
「フャ〜ン!」
まるで家庭教師のように、コンポコがうなずく。魔美は気にも止めずに一階のキッチンへ向かった。
冷たいオレンジジュースをコップに注ぎながら、まだぼんやりとした気分でTVをつける。夕方のニュース。また、あの騒動の続報を伝えていた。
「……いまだ行方の掴めない彼女、このままでは週末の日本公会堂でのリサイタルの開催すら危ぶまれてきました」
画面には記者らしき男性リポーターと、リサイタルを主催するピアノ団体の事務所が映し出されていた。
魔美はニュースを聞きながら、テーブルに置いたままのあの手紙を手にとって眺めてみる。行方不明中の蓑田カナミからの、パパ宛の手紙。開封すれば、何か分かるかもしれない。いや開封しなくたって、透視すればたちどころに内容は読めてしまう。
でも、それはできなかった。勝手に手紙を読まれれば、書いたほうも送られたほうも腹が立つに決まってる。もちろん自分だってそうだ。そんなことは、当然のことなのだ。
「……しかしここに来て、私たちの取材によって、海外留学時の彼女の周辺に、新たな事実が浮かび上がってきたのです」
今までと少しトーンの違う記者の言葉に、魔美は再びニュースに集中した。
「さかのぼること数年前、彼女がヨーロッパ滞在中に、留学資金を調達するため現地のマフィアに協力を依頼していたというのです!」
少し、いやな気分になった。画面の記者は続ける。
「複数の証言から総合すると、彼女は資金を提供してもらう見返りとして、マフィア同士の晩餐会やパーティーなどでピアノ演奏を行っていたというのです。国際ピアノコンクール大賞受賞という華やかな舞台の裏で彼女は、マフィア付きのピアニストというもうひとつの顔を持っていたということになります」
画面転換して、スタジオのキャスターが映る。
「彼女の失踪とマフィアとの関係、この2つの事件にどんなつながりがあるのか、これからの取材の進展が注目されます。さて、続いてはトピックス。今若者から絶大な支持を受ける超人気アイドル 星野スミレさんがTOKIO−FMの公開録音に出演、彼女を一目見ようと渋谷のスタジオ前には大勢のファンが……」
魔美は少し怒っていた。思わずコンポコにいう。
「なによ。マフィアだかパパイヤだかと昔付き合ってちゃ、ピアノを弾いちゃいけないっていうの!?それじゃあ、悪いことをした人は一生芸術に関わっちゃいけないわけ!?本人は後悔してるかもしれないし、第一そのことと彼女の弾く曲の出来映えは、ぜんぜん関係がないじゃない!ねえ、そう思わないコンポコ!?」
「フャン!」
ことが芸術の話だと、魔美は特に怒ってしまう。
「もう、イライラしてきた!このストレスは勉強で発散するしかないわね!」
急に発想を転換させた魔美は、大股歩きで勉強部屋へと向かう。ストレスを溜め込まないのが、彼女のいいところだ。
とはいえ、ストレスの向ける方向が悪すぎたようだ。机に座ってものの10分もしないうちに、退屈の虫が彼女の頭をはい回ってきた。コンポコも、もうあきらめたのか部屋の隅で丸くなって寝ている。
「ふ、ああ〜っ」
数え切れないほどのためいき。うわの空の気持ち。視線も部屋の中をフワフワと泳ぐ。
「……ん?」
ふと、窓の外を眺めた時、見覚えのある姿が視界に入ってきた。自宅の玄関の前を、ふらふらと所在なさげにしている。何日か前に、黒塗りの車に追いかけられていた、あのコートの女の人だ。
「なんで……あの人が?」
何度も表札を確認している様子から、この家に訪ねてきたのは間違いないようだ。そして呼び鈴を押そうとして、ためらっているようだ。
魔美は階段を降り、玄関ドアの魚眼レンズを覗く。まだあの女の人は、そわそわとした様子。
このまま待っていても仕方がない。魔美はドアを開けるため、外の女の人に声をかけた。
「もしもーし、うちに御用ですかぁ!?」
ガチャ、とドアを開ける。でも、玄関の前の彼女は魔美の姿を見つけると、きびすを返して道を駆け出していた。
「ちょ、ちょっと待って!」
魔美も急いでスニーカーをはいて追いかける。あんなに悩んでいたんだから、きっとうちに大事な用事があるはずなのだ!と、おせっかいな性格が勝手に思いこんでいたのだ。そしてそれは、外れてはいなかった。
路地を追いかけたが、女の人の姿が見えない。靴をはく間に、少し遠くにいってしまったようだ。
「よーし……」
テレポーテーションガンを自分に向ける。空の上から探したほうが見つけやすい。
「テレポート!」
テレポーテーションと、セルフ・テレキネシスで上空に浮遊する。
いた。まだ彼女は走っている。ゆっくりと、気づかれぬように近づいていった。